コラム第十九回 やはり大きかった ペーパーレス化の経費削減効果
ずいぶん久々のコラムとなりました。
奉仕と集会準備の間の休憩中にニュースをつまみ読みしていたら、こんな記事が目に留まりました。
www.sankei.com ちょっと興味深く感じたので、記事全体を読み、さらに岡山市のホームページから平成29年10月24日付の視聴記者会見の資料をダウンロードしてみたところ、Android6.0の10.1型タブレットを40台導入していることが確認できました。機種は不明です。
不覚にも私、いろいろな意味でAndroidで大丈夫なのか!?と思ってしまいました。iPadも廉価版が出ましたし、用途限定であれば、iPadのほうが安定しそうな気もします。
まあ、そこから先は貸し出す秘書課の担当部員が心配することですね。
ペーパーレスのメリットとは
岡山市庁 のまとめた資料によれば、ペーパーレス会議にスイッチするメリットは少なくないようです。
- 印刷にかかるコスト削減(紙代、インキ・トナー代、電気代などを指すと思われる)
- 会議の資料作成や整頓の手間を減らせる(ホチキス止めした製本作業)
- 会議直前の資料差し替えに対応できる
- カラー表示、ズーム機能などによるユーザーエクスペリエンスの向上
- 機密性の高い資料の持ち帰りを防止できる
どの程度のコスト削減が見込めるかといいますと、年間230万円といいますから驚きです。
230万円!ちょっとした乗用車が買えてしまうではありませんか。
これがすべて定着すれば、記事中の取材写真のように印刷物を脇に置きながら、タブレットを見るということも見られなくなるのでしょう。
JWの組織でのペーパーレス化
私達の組織も、かなり以前から印刷版から電子版へのシフトは進んでいます。
ウェブサイトがJW.orgに統合される以前から既にwatchtower.orgでの電子書籍のダウンロードが可能になっていました。
今は、考古学的・科学的・言語学上の新しい発見があった場合、情報が精査された後にウェブサイトやアプリのコンテンツが更新されるようになりました。もしこれが印刷版だったなら、増刷を待たなければならず、場合によっては調整された箇所のリストを別に準備する必要もあります。*1
カラー表示対応、についてはJWの現在の出版物は、もともとがフルカラーオフセット印刷で出版されており、レーザープリンタで印刷すると両者はほとんど同じ品質になります。一部の写真や挿絵などに至っては、電子版ではトリミングされている場合があり、むしろ印刷版のほうが情報量が多い場合さえあります。
最近のトレンドでLDCの提案に応じている王国会館では会場全面のディスプレイにJWLibrary(Windows10版)のメディアが映されますから、結局全員が電子版の挿絵を見ることになりますから結果は同じようなものになります。
何よりも新世界訳聖書スタディ版(現在は英語のみ)のメディアギャラリーは電子版のみでしか楽しめませんから、このメリットは兄弟姉妹たちにどんどん宣伝していってほしいです。ただし、無声動画についてはオンラインでないと利用できないので注意してください。
拡大表示についても、電子的なテバイスでの利用に大きなアドバンテージがあります。
まず、アプリやデバイスの設定で表示するテキストのサイズをある程度調節することができます。そして通常版とは別に大文字版を依頼する必要もなくなります。大文字版のあの分厚さと重さは高齢者にはかなり大変ですから、これも評価できます。
とはいえ、電子版にはデメリットがまったくないわけでもありません。日本語出版物のドキュメントにはルビをふることができません。(PDF版は除く)ですから、電子版オンリーのユーザーにとって、「人数」という単語は、使徒 9:31では「ひとかず」、使徒 16:5では「にんずう」と読むということは言われなければ分からないのです。公の朗読で聖書から朗読することは特に重要ですから、朗読の割当が当たった兄弟は印刷版の新世界聖書でも確認しつつ準備をしたほうがよいと思います。
機密性という点では、本当にペーパーレス化が役に立っています。
ご存知のように、大会のパンフレットや文書は、「印刷版を依頼するのではなく、出来る限り電子版を依頼するよう」繰り返しアナウンスされてきました。通信物は郵便からOffice365を利用したセキュアなメールに切り替わりました。
長老や世紀開拓者用の教科書も印刷版だけでなく、JWLibraryの特別コンテンツとしても提供されています、それらの出版物は権限のない人は入手できないようになっていますので、印刷版を家に置いていくよりは安全だと言えるかもしれません。
アナログ世代をどう巻き込むか
広まりつつあるペーパーレス化の波。果たしてこの因習的な日本でうまくいくのでしょうか。それは今はわかりません。一般団体においても会衆においてもその浸透具合にはかなりの地域差が生じています。
海外メディアから散々突っ込まれていますが、なにしろ前世紀の遺物とも言って良いFAXが、官民を問わず現役で使われているのです。光ケーブルで接続されたPCが何台もあるオフィスの片隅で、FAXの送信が成功したかどうかの確認の電話をこちらから入れなければならないのです。
ペーパーレス化のもう一つの障害となるのは「ずっと使い続けてきたものが一番簡単」という強い意見です。これを錯覚ではなく実感として感じる世代が決定権を持っている組織は少なくありません。
正直な話、わたしも歳のせいか段々と新しいシステム、サービス、コンテンツについて覚え直すのが億劫に感じることが増えてきました。工学部出身であるにも関わらずそう感じてしまうのです。例えば私鉄のIC切符やコンピにのプリペイドカードなど、もう、自分が直接使うことはない、使わなくてもなんとかなる、と思えるものについては特にそう思えます。
こうなると、「早い」「安い」「便利」「軽い」から楽だ、という理由では説得力がなくなってしまいます。「こんなに大変なら紙の方でも良い、費用は今自分が負担するわけではない」という諦観が本人に現状維持を選択させてしまうのです。
Androidは、もう少しわかりやすくできると思います。機能追加、拡張も大切ですが、裾野を広げるような親切な設定、表現にも取り組んでほしいです。*2
「アナログ世代」「デジタル音痴」と自嘲したり、揶揄している間にもデジタルデバイドは深刻になっていきます。ペーパーレス化はその達成率が相当大きくないとその効果が現れにくいと思います。
詰まるところそうしたグループの方たちに「覚えるのが大変」と思わさせてしまった時点で、ペーパーレス推進派の敗北だと言えるかもしれません。
*1:今となっては懐かしい話になりますが、「啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!」が群れの書籍研究で扱われた時は 王国宣教2006年9月号 3‐6ページ、さらに翌年2007年2月号7ページに追加の調整箇所がまとめられました。この最後の調整タイミングで大文字版を依頼すると、統計数字や一部の文脈がさらに最新のものに再再修正された印刷版を受け取ることができました。必要の大きな地方の会衆にいた時、私はその大文字版を用いて朗読したため、ごく一部の聴衆が手元の資料と違うとささやき始めてしまい、司会者の長老兄弟が上手にフォローしてくださったことを覚えています。
*2:たとえは、あるファイルを開く時、「一回のみ」、「常に」という表示とアプリのアイコンだけが表示されます。これは初心者には説明不足極まる日本語でとても不親切だと思います。